From:「部活運営のヒント」
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今週も営業で走り回っております。【ヨネックス営業部で林田選手とパシャリ】
ソフトテニス大好き
「のめさん」です!!

今回から、
私の母校である
「福島県西郷第一中学校 ソフトテニス部」が平成10年まで24年連続全国中体連大会に出場し続ける事が出来たのかを何度かに分けてお伝えしていきたいと思います。
それまで、優勝8回、準優勝6回を成し遂げています。
現在も当時の方々の次世代が優勝入賞を多数達成しています。

っとここで、
西郷第一中学校ソフトテニス部のちょっとした歴史をお伝えします。
昭和55年に「鈴木・和知」ペアが全中個人戦で優勝してから今まで十数回の団体個人戦等で優勝して来ました。↑の鈴木さんは現在東北高校で活躍している「北野・鈴木」ペアの鈴木君のお父さんです。お父さん、娘さん「小山・鈴木」ペア、息子さん皆全中個人チャンピオンって凄すぎますよね♪
昭和から平成にかけて軟式庭球→軟式テニス→ソフトテニスと変化した中で、コンスタントに全国出場し続けて来た
西郷第一中学校ソフトテニス部親から子へ力が伝えられました。

その基となる指導をされたのが金沢知彦先生です。

ポイント1 ソフトテニス部の心得

ポイント2 毎日繰返す数学のプリント

ポイント3 毎日試合で計算するポイント率

ポイントは順次説明して行く事にしまして、今回は金沢先生がソフトテニスを指導する事になったきっかけをお伝えいたします。

「テニスと私」 文 金沢知彦 より

〜朝な夕な飯くうごとに忘れじな
   恵まぬ民に恵まるる身は〜
 農人形を祭って農民に感謝し続けた水戸の徳川斉昭公の歌である。
 私の戦闘機乗りの同期生16名は立派な才能を惜しまれつつ、私一人だけ残して日本の勝利を信じて空に参加していった。
 終戦を飛行第25戦隊長として朝鮮で迎えた私は、利己的な日本人の集を嘆き彼らの分まで働くには教育者以外になしと決意、追放解除までは福島県白坂の開拓者として入植、昭和27年白坂の中学校の教員になった。
 軍隊時代、農民出身の兵隊が強く、正しく国のためにつくしている姿を見、農村の子供達の教育に身を捧げようと決心した。
 
ここからは
「のめさん」の表現で記します。

 元は剣道部顧問として指導していた金沢先生は、体力の限界を感じたころ、剣道6段の先生が赴任して来たため、その時に教頭が忙しい中顧問をして中々生徒と関われていないことからテニス部顧問へとなりました。 
 ここから西郷のソフトテニスの歴史が始まったのです。

 ちなみに私が平成9年の中3当時金沢先生は70代後半のご年齢でした。
前書きにあるように、教育に身を捧げると決意した先生は1年間の362日を生徒と過ごし休みは3日、毎日ソフトテニスと数学のプリントを行いソフトテニス部の心得を基本に学業、部活動、生活指導を行って来ました。
今回の文章は20年以上前の文を参考にしています。
西郷一中の歴史も昭和後半から平成前半がメインですので、参考になる部分を取り入れて頂ければと思います。時代は変化していますので!!

この続きは次回ポイント1のお話をしていきます。
文章を書きながら21年前の自分を思い出しています。


 ここで
「のめさん」のワンポイントアドバイス!!
今日はオススメ初心者の方との練習法です♪

 多くの方が教えようとする事がグリップの持ち方、そしてボールをコートに打つ方法のように思います。
「のめさん」はグリップをある程度教えたら、どこまでボール飛ばせるかな大会〜を行います。遠くにボール飛ばせる所まで打たせるんです〜♪コントロールする事は難しいですし、まずできそうな事は大きく遠くに飛ばして見る事です。
そこから距離を縮めて来てコートに収まる力を教える方が、力を抜いて打つことよりも入れたところから抜いていく方が初心者の皆さんには力の入れ具合を理解しやすいですよ。
是非試して見てください♪


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